2013年03月13日

奈良県靴下産業の歴史



当社の生産工場があり日本一の靴下生産量を誇る奈良県の歴史について・・・

奈良県の靴下産業は1910年頃大阪の問屋資本の統轄のもとで、北葛城郡馬見村(現広陵町で私の母の実家がある)

で吉井泰三が農民救済の授産事業として、フライス手回し機を用いて靴下製造を始めたのが最初です。

大和絣の生産を基礎とした木綿織物の賃織が農家の家族経営から工場経営に移行し、農家が農業外収入を得る事の

必要性から、新しい副業として靴下の編立が、磯城郡川西村の貝釦製造業とともに持ち込まれた。

靴下製造は零細な資本規模、農家の納屋を改装した小さな場所での家族経営が可能で、経営者は規模を拡大する事

なく第二種兼業農家として兼業形態を維持してきた。

靴下産地として基盤が整ったのはナイロンの国産化(1951年)と柄の多様化が可能な編機の開発(1953年)により

素材の高級化と形状・柄などのデザインのカジュアル化が進み靴下市場が拡大された事による。

当時は「作れば売れる」状況になり、新機種編機の導入・増設に農協が農地を担保に融資を行ったらしいです。

しかも、土地の安い馬見丘陵地帯の農地が真美が丘ニュータウン建築計画によって高騰し、その土地を所有していた

靴下製造企業は運転資金を容易に確保出来る様になった。(奈良県靴下組合から頂いた資料より)

歴史ある奈良県生産の靴下を自信を持ってお勧めします。




当社では毎日、本社・物流センター・奈良工場をスカイプで繋いで朝礼を行っていて、日替わりで当番が進行をして

るのですが、昨日は直前に社長お願いしますと言われなんだか緊張してしまいました。

スカイプで行うこの朝礼は、以前上海滞在中でも私が参加する事が出来たのですが、当社サーバーのセキュリティ

を強化したところ繋がりにくくなって中止してしまいました。

モニターを通してですが、離れていても毎日スタッフ顔を見る事が出来るので通信環境を改善出来れば是非再開したい

と思います。



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Posted by 上海 MIKASA at 23:39│Comments(0)横浜
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